コンピュータの世界に40年、その経験が役立てば、これに過ぎた幸せななし。
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 前回は、初期状況と症状について書いた。今回は、その後の悪戦苦闘の経緯を。 PR
以前から不調ではあったのだが、自分自身のThinkPadT40が、終にダウン。ハードウェア・ソフトウェアと、問題点をチェックし、順次修復を行ってきたのだが、今に至るも最終的解決に至っていない。
先ず経緯と症状から (1)メモリーを拡張した(1G)際、ベースが「PC2100」のところ、既に入手困難、そこで「PC2700」を512M追加して、1Gにした。 (2)その結果か、シャットダウン時に、メモリーRWエラーが出るようになった。 (3)ただ、この問題は、異種メモリーによる軽微な問題と解釈し、特に気にしなかった。 (メモリーは、アクセス速度の遅い方に従う。) (4)4月から、頻繁に持ち歩いていた。 (土日以外は長岡に持参。) (5)長岡(会社)では、セキュリティ上、ドメインには所属せず、別にワークグループを作って、インターネット接続他は、スタンドアロンと同様な使い方をしていた。 (6)こうした環境・状況の中で、「ThinkPadT40」がフリーズした。 (7)一切のキーを受け付けない状況。 (Cnt+Alt+Del、も同様) (8)電源を切り、何度かリブートするが、状況こそ違え、結果としてフリーズする。 (9)最後に、初期画面も表示されず、BIOSユーティリティにも行けない状態になる。 以上が、第一段階の症状である。 以降、修復を開始するのだが、それは次回に。 Best regards 先週末、通常使用しているThinkPadに問題が生じた。 念のために、以下、経過を報告する。 尚、末尾に詳細を書くが、この報告は、別システムからの配信。 ○症状 ○現状と想定しうる問題点 ○対応 以上で、改善が見られなければ、次のステップへ: ○今回の問題点と注意事項 ○対応策 以上、現状と対応を報告する。 現在、一応OKの状態。 今のところ、本質的原因が、外部からの進入かどうか不明であるため、別システム(W2000)で、この報告書を書いている。 因みに、このシステムには、最小限のAPしかインストールしておらず、作成前に、システムをチェック、発信時には、三重のチェックを行っているの 取り急ぎ、報告まで。 Best regards
渡邊君のノートPCの修理が完了した。但し、バッテリーに不安がある。
以下、修理の経過: (1)症状から、電源周りに障害があることを確認。 (2)先ず手探りで分解する。 (3)DCコネクタの他、特に以上は認められない。 (4)電源周りのパーツを調べ、インターネットで検索する。前回説明したAmberの部品。日本語で一件ヒットしたが、サイトのオーナーの詳細は知らないようだ。但し、DCコネクタの記載があり、型式が異なるが、分解の手順が写真入で紹介されていた。 (5)手順を参考に、再度分解。マザーボードを取り出す。 (6)マザーボード裏面のDCコネクタのハンダ付けの部分に黒ずみがあった。 (7)DCコネクタを動かしてみると、足が折れていた。黒ずみは、それが原因でブリッジして出来たのかもしれない。 (8)ハンダを溶かし、DCコネクタを外す。 (9)ジャンクのマザーボードからDCコネクタを外し、同じものであることを確認する。 (10)付替える為、ハンダごてでホールを空けようとしたら、折れた足が詰まっていて、苦労した。ハンダの吸引器があるのだが見当たらないので、更に苦労。 (11)ジャンクのDCコネクタの背面をテープで補強し、ハンダ付けする。 *フレキシブル・スタンドがあったので助かったが、結構厄介だった。それに、ハンダごてなどしばらく使っていないので手間取ってしまう。 (12)組み立てる。この際、前回の失敗があるので、フレキシブル・ケーブルの取り扱いには注意する。 (13)組み立て後、電源投入。日付・時間のBIOSエラー表示。 (14)BIOSセットアップで、修正後、再起動。 (15)OSが起動し、Windowsが実行された。 (16)修理完了。但し、バッテリーの問題があるので、充電可能かどうか確認中。 今回は、同機種別型式のジャンクがあったので部品の転用が出来た。また、正規のマニュアルは無かったが、参考になるサイトがあった。しかし、正規の保守マニュアルがないので、試行錯誤の連続である。それに、地方ではパーツの入手が困難である。例えば、DCコネクタなどは、大抵同じものだろうが、それを一個入手するとなると、どうであろうか。 いずれにしても、試行錯誤や分解・組み立ての時間、パーツ探し、更には慣れないハンダごて、費用対効果を無視しなければ、ノートPCの修理は出来ないだろう。今回は幸いにも、自分の推測とは異なり、問題解決が容易であった。それでも、インターネットによる検索回数は、十数回に及んだ。ネットワーク社会とは言え、保守マニュアルや部品の入手が困難な地方に居ると、矢張り地域格差を感じるのである。 柏崎マイコンクラブ「喫茶室」から転載 このところ、PCの修理に苦労していた。 もっとも、こちらの方が本来の仕事のようなものだが、ハードウェアの修理となると素人に毛の生えたようなものだ。 それに、ノートPCの修理となると、全くの手探りで修理しなければならない。 まあ、勉強と思って手がけたのだが、考えてみれば、責任が重い。 何しろ、データの蓄積がある。 もっとも、修理の必要が無ければ、HDからデータのみを吸い上げればよいのだが。 しかし、勉強になったことは事実だ。 自分は、ここ数年は、IBMのThinkPadを使っている。 こちらの方は、何度か修理もしたのだが、これは自己責任の範囲だ。 それに、IBMがPC部門を売却したことで、修理という面ではメリットもあった。Lenovoが、ハードウェアの保守マニュアルを全面公開したのだ。 これは助かる。 それに、これを参考にして、他社のPCを見ることが出来る。 設計思想の違いも確認できる。 今回助かったのは、パーツから類推することが出来たので、問題発見と解決の一助にはなったことだ。 先ず、設計思想と言ってもアセンブリの設計思想が違うだけで、PCの構造自体には大差が無いということだ。 ただ、ユーザーに親切あるいは不親切というか、機能がサブボードに分割されたもや一枚基板に統合させたものやら、更にはカスタマイズド・チップに集積したものがあり、パーツをキーワードに検索するのには苦労した。 もっとも、エンドユーザーが修理することを想定していないのだから、尤もと言えば、もっともなこと ところで、我家は、DIYをモットーにしている。 家を建てた時も、出来上がった家には家具等ほとんどない状態で、ガランとしていた。 若井の箪笥やらベッド以外は、家具らしき家具がない。 あちこちから不用になった家具を貰い受けた。 自分が使っている事務用家具は、長岡を引き払う時、廃棄する方が金が掛るというので、若井の実家の作業場に置いていたものだ。 そんな事もあって、DIYになったのか、ここ二三年は、ベンチとか棚をよく作った。 少々の修理なら自転車から家の修理まで一人、時には二人でやる。 我ら夫婦の趣味のようなものだ。 その為か、工具やら道具類が揃ってしまった。 ただ悪いことが一つある。 二人とも物が捨てられないのである。 何かに使えるからと取って置く。 お陰で、本来車庫であるべき空間が物置と化している。 PCのジャンクの類も又然り。 最近は、ゆとりがないので、新しいPCも買えない。 今使っているPCは、ジャンクになった三台のPCから使える部品を取り出して、一台にまとめたものだ。 もう長くプログラムも書くことがない。 今のPCで、事足りる訳だ。 余談だが、何年か前、今は廃校になった高柳の分校で教えてことがある。 HDも無いジャンクのようなPCで生徒たちが気の毒である。 ジャンクのHDを取り付けた。 先輩に頼んで、リプレースで廃棄処分になるPCを6台ほど貰い受け、学校仕様に調整もした。 マウスは、NECの阿倍さんにお願いした。 そんな事を思い出す。 使い捨ての時代は、物ばかりではなく、実は、技術も捨てている。 修理をしないから、PCの基本的な構造も知ることがない。 システムという考え方の基本が、そこにあるのだが。 便利になればなるほど、その本質を忘れてしまう。 使用できる環境を失った時、PCであれ家電であれ、単なる物になるのである。 中越震災は、その教訓を教えたのではなかったのか。 「常在戦場」は、我がモットー。 河井継之助記念館にも、それを見た。 余談だが、平子龍こと平山行蔵は、幕府最後のお庭番と云われた。 勝海舟の父親・勝小吉は最晩年の弟子である。 神道無念流の斎藤弥九郎も師と仰いだと云う。 その平子龍の座右の銘が「常在戦場」なのである。 河井継之助の精神が、これまた「常在戦場」だ。 詳細は判らないが、三河武士に繋がるのだろうか。 さて、今年は春が早い。 DIYの季節が近い。 異常気象を気にしながらも、暗い気分に晴れ間が見える。 『柏崎通信』436号(2007年2月8日)から転載 |
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ドクター梶谷
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非公開
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システムエンジニア
趣味:
パソコン
自己紹介:
柏崎マイコンクラブ顧問
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