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コンピュータの世界に40年、その経験が役立てば、これに過ぎた幸せななし。
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 昨日、友人に頼まれてPCの修理をする。 数年前のDEL。 昨年、何処かでも貰ったと言うPCを持ち込んできた。 見れば、どうすればここまで汚れるのかと言う代物である。 キーボードは、ほこりが固まって、まともに押下できない。 本体は、ブリッジでショートするのではないかと思えるほどだ。 そんな代物だから、先ず、マザーボードの洗浄から始める。 蒸気洗浄をしたのだが、汚れがひどくて、どうにもならない。 全部ばらして、家庭用洗剤で洗っては見たものの、油汚れか、落ちそうにない。 こうなったら仕方がないと、油汚れ用の洗剤をぶっ掛けて、汚れが浮いたところで、水圧の掛かる自動車用のホースで丸洗いだ。 CRTも又然り。 結局、完全に乾燥させるのに丸二日掛かってしまった。 それから組み立て、作動テスト、完了まで一週間を要した。

 そのPCなのである。 しかし、感心したことがある。 DELの設計思想だ。 アセンブリが容易であり、分解時に確認しておけば、メンテナンス・マニュアルを必要としない。 問題は使用者にある。 友人が不器用なのか、無精なのか、電話で指示しても、どうにもならない。 迎えに行くから見てくれと言う。 出かけなければならないからと言うと、運転手をしてくれると言う。 用件を済ませるのに小一時間。 待っているのでだ。 さて、件のPCを見ると、案の定、大した問題ではないのである。

 如何にPCが家電化したと言っても、これで良いのだろうか。 PCは、使用者にとって知的資産の格納庫である。 知的資産の蓄積は、その人にとって、歴史であり存在の証明でもあるのだ。 それを格納するPCは、日常生活における家に例えることができる。 生活の基盤である家を保守管理しない人はいない。 同様に、PCを保守管理しなければ、自己の存在の証明でもある知的資産は失われる。 キルケゴール的に言えば、必然性の病、すなわち絶望の状況にある訳だ。

 もうそろそろ桜も咲く。 ぱっと咲いてぱっと散る。 この桜に対するイメージには誤謬があるのではないだろうか。 学習院の校章は「山桜」、入学の時に教わる歌がある。 「大和心を知るならば、朝日に匂う山桜かな」 本居宣長の歌である。 ここのは、艶やかな桜というイメージではなく、風雪に耐え年輪を重ねた山桜の逞し
さを感じるのだ。 叡智と技術を積み重ねた成果も、時代と共に古びていくのは仕方あるまい。 しかし、積み重ねられた知的資産を紐解けば、そこには新たなる理論や技術の種があるかもしれないのだ。 ポアンカレの予想が、微分幾何学によって証明されたように。

Best regards
梶谷恭巨

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